2015年12月

おせちの黒豆

お正月の準備中です。

おせちコーナーに行くと、かまぼこ、伊達巻、栗きんとんなどが売っているわけなのですが、そこで箱入りで売っている黒豆って高いですよね?

だって、お惣菜コーナーにあるパウチのふじっ子の黒豆を買えば半額以下ですよ。
どさくさにまぎれて、高いものを売っているような気がする。(〟-_・)ン

ふじっ子 おまめさん 丹波黒黒豆 140g ×10個セット

ふじっ子 おまめさん 丹波黒黒豆 140g










 ※リンクは単に画像が欲しかったので張ってあるだけです。リンク先は10袋セットの商品です。

セブンプレミアムならもっと安い。
まあ、本当は自分で黒豆を煮ればいいのですけどね。

プレゼント

退職の記念品を贈ってくれた人に、お返しのプレゼントを送りました。

present1

なぜか、郵便局のお姉さんが、嬉しそうな顔をしていました。
君にあげるわけじゃないぞ。( ̄-  ̄; )

present2

中身は大したことないんですけどね。

present3

急に日本が魅力的になった訳ではなく

数日前の拾いもののツイートから。
確かに、まだ、日本が裕福だったころのセルフイメージってあるな。
どうりで、日本の観光地に外国人が溢れているわけですね。

昔、日本人がよそのアジアの国は物価が安いと思って観光に行っていたのと同じ感覚で、今、中国やアメリカやヨーロッパの人たちが日本は物価が安いと思って観光にやってくるということらしい。
急に日本が魅力的な観光地になったのではなく。

ここ15年で国際的に日本人は急速に貧しくなっているとのこと。
比較の例として、シリコンバレーでは、年収1500万円だけでは生活が苦しいそうです。アメリカのスタンフォード大学が、経済的に恵まれない学生を支援するため、家庭年収が12万5000ドル(約1500万円)未満の学生の授業料を無償にすると発表したというニュースがありました。
小耳に挟んだところによると、北京で就職すると、日本よりも給料がよいとのこと。

円安が進んでいることに警戒すべきなのでしょうね。
円安ということは、相対的な国力が落ちているということですから。円安だと株価が高くなって、日本人は大喜びなのだけど、でも、その株価が高い理由は、円が安いから日本株がお買い得になって、外国の機関投資家たちが買い漁っているからです。円安を利用して、おいしいところを持っていかれているという現実があるのですよね。

日本人は、皆、時間に追われ続け、高いストレスを持っている人が多い割には、貧乏になってしまっているようです。周りを見渡しても、老後が心配という人が多いし、非正規雇用も増えたし。

さて、困りましたね。 (´・_・` )

日産アートアワード2015

日産アートアワード2015日産アートアワード2015に行ってきました。

現代アートですね。場所は、横浜のBankART Studio NYKです。過去の横浜トリエンナーレの会場にもなっていたところです。

第一次選考によって選ばれたファイナリスト7名、秋山さやか、久門剛史、石田尚志、岩崎貴宏、ミヤギフトシ、毛利悠子、米田知子(敬称略)による作品が展示されていました。

とてもよかったです。
それぞれの想いが感じられて、とても贅沢な時間でした。グランプリを受賞したのは、毛利悠子氏の《モレモレ:与えられた落水 #1-3》だったそうですが、私もこの作品は大好きです。脈動するポンプによって水が循環し、ちょっとピタゴラスイッチ装置的なところが、また、好みです。
オーディエンス賞の久門 剛史氏の作品《らせんの練習》も、音と光で構築された夢のような異空間に、シビれました。

現代アートというのは、何でもありの世界だから、つまらないものがいくらでも混じってしまうのですよね。

例えば、私が好きでない現代アートの作風は、単なるゴミっぽい作品だったり、裸でゆっくり動いているだけの動画作品、あまりに偏執的な繰り返し作業だけが際立つ作品です。

選び抜かれただけあって、完成度の高い美術展でした。

深い記憶の底にあったような懐かしさ。引き出される幽かな(かすかな)感情。
どこかにあり得るようで、あり得ない夢を見ているような眩暈。
日常の淵、世界の果てを見せるような、常識を覆す驚き。

現代アートは、その異質さによって、この世を、温かく平和な世界だと改めて認識させてくれるのです(あるいは、その正当さによって、この世を、残酷で争いに満ちた世界だと改めて認識させてくれるのです)。そして、同時に、我が身の存在の不思議さを突きつけられるのです。記憶と感情によって成り立つこの自我を。

上質な現代アートは、記憶と感情を揺さぶり、この生と夢を対比させ、常識と非常識の境、つまり世界の果てを意識させてくれるのです。

常識で理解できないものと邂逅し、「なんだ、これ!?」「何の意味があるの!?」という自分を認識する。自分と世界の境界、つまり自分自身を意識させてくれます。

旅行だって、そうじゃないですか。
世界を、自分を知るために、外に出かけ、驚きと出会いを果たし、帰ってくる。

現代アートも、方向が逆なだけで、きっと同じです。
それをもっと、純粋で微妙な形で果たしてくれるのです。


[どうでもいい補足]
2011年の横浜トリエンナーレ、横浜美術館の入り口付近にあった作品で、世界中の人の普段着ている衣服を上着から下着まで帯状に切って、フィルムの缶のようなものにバームクーヘン状に詰めた作品があったでしょう。外周側がコートなどで、内周側が肌着です。100人以上の衣装の輪切りがあって、それぞれに中国語で衣服の説明(おそらく、コート、上着、シャツ、肌着などと書いてある)があったのですが、そのとき、私はそれぞれの漢字を見比べていて発見しました。何人か、穿いていないことを。「安心できません。穿いていません。」(←バカ)


忘年会

金曜日は、前の会社の人たちと飲み会。

ニ次会は隠れ家的なバーに。

bar

翌朝、目を覚まして、幸せだったな~という余韻に浸れた飲み会でした。

やっぱり、独りもいいけど、仲間と過ごすのもいいですね。
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