※外国の方から川崎の襲撃事件に関するメールをいただき、その返信で書いたものを公開するものです。
こんにちは。メールをありがとうございました。
こんにちは。メールをありがとうございました。
川崎の襲撃事件は、連日ニュース番組で報道されており、大変な議論を引き起こしています。
大変痛ましい事件で、被害者のことを考えるとあってはならなかった事件だと思います。
遠い国からお悔やみを述べていただきありがたく感じます。
現場は、私が通学で通過していた駅の近くで、犯人が凶器を買ったという店も私がよく行っていた店でした。身近なところで起きた事件でした。
この事件には、私も考えるところがたくさんあります。
crazy peopleなのかそれともcrazy worldとして捉えるべきなのか、とのこと難しい疑問ですね。
この事件が人々の激しい怒りを呼ぶのは、卑怯なやり口ということが挙げられると思います。
後ろから刺した
罪のない人を殺した
幸せなエリートを狙った
抵抗できない子どもを狙った
絶対に反撃されないようなやり方をした
一人でも多くの子どもを傷つけようとしていた
自殺して後悔も懲罰のないところに逃げてしまった
彼は、crazy peopleであり、彼自身がcrazy worldを憎んでいたのだと思います。
幸せな人生を送るエリートとその子どもを妬んでいたのだと思います。
なぜ、自分は誰からも愛されず、経済的に苦しく、惨めに自殺するしかなくなったのか、と。
でも、もし、誰かが彼に十分な愛情を向け、彼に正面から向きあっていたら、彼はcrazy peopleにはならなかったのではないかという意見がありますが、これに賛同します。
彼が子どものころから、世界から向けられてきた無視、蔑み、憎悪がなければ、彼は世の中を憎まなかったことでしょう。
彼は、世間に復讐することでこう訴えたかったのかも知れない。
私は、愛されなかった。死ぬしかなかった。
幸せな人間がいて、不公平だと。
この世の中は、crazy worldだと。
不公平は許されるべきではないと。
もちろん、彼は間違っているし、擁護される行為でもない。
でも、彼が漫画雑誌を読んでいたと報道されていることから、人と同じように、泣き、笑い、怒る人間だったことはうかがえます。卑怯で、ひねくれた人間であったとしても。
少なくても、理解不能な悪魔やモンスターではないことはわかります。
彼は大きく道を踏み外したけれど、少なくても親から捨てられる前頃の子ども時代は私たちと同じところにはいたのです。
彼が親からきちんと愛されず、ものを正しく考える術を学べず、差別や偏見にさらされ続け、セーフティネットが機能していなかったから、彼が闇に落ちたという意見は、少し正しくないと思います(同じ環境でも闇に落ちない人はいるから)。
こういうべきでしょう。
彼が親からきちんと愛され、ものを正しく考える術を学べて、差別や偏見にさらされ続けず、セーフティネットがきちんと機能していたら彼はきっと闇に落ちなかったことでしょう。
つまり、彼を取り巻く世界がcrazy worldでなかったなら、彼がcrazy peopleになる可能性はそれなりに低かっただろうということです。
この事件のあとに日本で沸騰した議論は、世の中がcrazy worldなのか、彼がcrazy peopleなのかという議論そのものだと思います。
前者の主張は、彼らを異端視し敵視することが、崖っぷちに立っている人のさらなる拡大自殺を生み出してしまうから、ひとりで死ねという発言は控え、つながりのある温かい社会をつくろうというもの。
後者の主張は、彼は我々とは異質な悪魔やモンスターの類であり、我々が安心して暮らすために、彼らを見つけ出し、監視、隔離せよというもの。主に中高年の引きこもりの人たちがやり玉に挙げられています。
今の日本の社会に彼のような犯罪者を生み出したひとつの要因があることは間違いなく、今後もこのような犯罪は増えていくことでしょう。
彼は得られなかった家族愛、親族愛、社会愛に対して、その象徴に対して復讐したのでしょう。
愛という名の学校に対して、得られなかった幸せを恨んで。
あてつけなら、名指しの犯行声明文を用意するでしょう。それはありませんでした。
行為がすべてを現しているのです。
守られるべき子どもだった自分が守られなかった人生。
そして、彼らを見守る大人がいなかった自分の人生。
彼が、最期に奪おうとしたのは、彼が欲しかったものです。幸せな子ども時代と彼らを守る大人。
自分に手に入らない他人のものを壊すために。
crazy worldに傷つけられ続けた心を幸せな人たちに見せるために。
彼の復讐は、対立する「敵」に対して行われたものです。篩い分けられ、敵視、非難、攻撃、無視、放置によって、最下辺に追いやられたことに報復するために。端的にいえば、誰からも愛されなかったことに抗議しているのです。crazy peopleにしたのは、お前たちだといっているのです。
愛が反対のものに変化したという点で、彼は救えるべき人間だったと思いますし、彼を救っていれば二人のかけがえのない命は救われていただろうと虚しく思います(では、私にそういう人間が頼ってきたとしても、時間的、経済的に対応し続けることは難しいので、偉そうなことは言えないのですが。私に強い経済的な力があれば時間も作れるのにと強く願うものですが・・・)。
彼の犯罪は、自殺しなければならない自分の人生の最後の叫びととらえることもできます。
彼は二人の命を奪ったばかりではなく、その叫びを禍々しく人々の心に響かせ、社会に大きな不安と憎しみを残しました。彼はその叫びを人々に聞かせたかったのです。
精神疾患や性衝動などと関係ない、純粋な社会への憎しみを感じます。
この世の最も大切なものを壊すことで、こんな世の中に一撃を与えたかったのでしょう。
その卑怯なふるまいで、人々に記憶されて死にたかったのです。
彼は、悔しくて悔しく仕方ない人生を送ってきたのでしょう。
世の中に復讐を果たしてから死ぬという思いを果たすために、反撃されない緻密で迅速な計画を立てたことがうかがわれます。反論や非難を一切させずに逃げ切るために、あれほど死に急いだのに違いありません。捕まって処罰など受けることなく、自分の思い通りにしたかったのです。
ざまあみろ、あっかんべーといわんばかりの行動ですよね。
「一人で死ぬべき」と怒る人が沢山いるほど、彼は喜ぶことでしょう。
狙いは、できるかぎり人々を激昂させながら死ぬこと。
できるかぎり、憎まれたかったといっても構わないでしょう。それは、愛されなかったから。
憎しみは憎しみを生みます。
私たちは彼らを救うことでしかこの種の犯罪(拡大自殺)に対抗することはできません。
彼が実行してみせたように、捨て身で、かつ練り上げた犯罪は防ぐことが難しいからです。
失うものがない人間は、容易に犯罪に走る傾向があることは否めません。
また、失うものがないということは、人生や社会に対して満足していない状況に置かれていることが多々あります。
だからといって、一部の意見にあるように、ひきこもりの人たちなどを犯罪予備軍として監視・隔離することは、彼らの世界をさらにcrazy worldにすることにほかなりません。
憎しみに憎しみを向けるのは、テロと同じ構図です。
拡大自殺は、社会に対する捨て身のテロである自爆行為と何も違いはないといってもよいでしょう。
その前の段階で、彼らの痛みを理解し、手を差し伸べることが誰も傷つかない方法だと思います。
世の中は生老病死がある時点で本質的にcrazy worldなのですが、社会がそれらから
身を守るための仕組みを持ち、温かいつながりのあるものにすることが、悲しい事件が
再び起こらないようにするために大切なことでしょう。
最後になりましたが、私も死傷者と親族の方たちの心の安らぎを祈ります。
とても長くなって申し訳ありません。
中原 憬